日本文化評論序説 第9回
辞典「新解」さんは読むもの 「恋愛」にも心のありようの変化
来年1月、広辞苑第六版が発売される。新聞コラムの書き出しに、『広辞苑では「なにがし」と書いてある』と引用されることがよくある。岩波書店の広辞苑は日本語を定義している辞典だ。
赤瀬川原平が、新明解国語辞典に新解さんのニックネームをつけてその魅力を世に広めてからこの辞典に乗り換えた。第五版はボロボロになった。買い換えようと思ったら第六版が出版された。 国語辞典は引くものと思っていたが、新解さんは読むものだ。試しに「恋愛」を 読んでみる。岩波国語辞典 第三版。「男女間の恋したう愛情、こい」。全くその通り。なにも書いてないのに等しい。
岩波 広辞苑 第二版。「男女間の恋い慕う愛情、愛する異性と一体になろうとする愛情、こい」。一体になろうとすると追記してある。少し踏み込んでいる感じがする。
新明解国語辞典 第五版(98年3月)。「特定の異性に特別の愛情をいだき、高揚した気分で二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、できるなら肉体的な一体感も得たいと願いながら常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたりまれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと」。これはなんだ、ここまで辞典が書いていいの、できるなら肉体的?、 プラトニックは恋愛ではないと言うことらしい。一歩譲って プラトニックな関係であっても少々の下心がないと恋愛と言わないと主張している。しかも、 恋愛の段階では、肉体的一体感は「まれ」にしかかなえられない。まれでなくなる関係になると恋愛でなくなると言うことだ。
そして、新明解国語辞典 第六版の登場(05年1月)。「特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔いないと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては二人だけでいたい、二人だけの世界をわかち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと」
肉体的が消えている。どうも筆者はこの問題を解決したらしい。ただ相手に対して疑念をいだき不安になっているようだ。
二人の関係は、第五版から第六版の間の7年間で変化した。そこには、日本人のこの7年間の間の文化と心のありようの変化が読み取れる。
辞典としては主観的すぎるのではないか。その通りだ。新解さんは文芸作品であり、それ以外の国語辞典はただの辞典にしかすぎないのだ。
(佐々木悟 医師:函館稜北病院 内科科長&副院長)


コメント