いかぽっ報には職員からの投稿も多数よせられます。職員も、医師に負けず劣らず、多彩な趣味の持ち主が多いのも、わが函館稜北病院のディープな(奥の深い)ところです。
職員の投稿より、一番手として阿部久さんを紹介します。稜北内科小児科クリニック事務主任の阿部さんは、一見ごくふつうのおじさんですが、実は空手の高段者。教え子の息子さんも最後に登場しますので、ぜひお読みください。
シリーズ「空手道一直線」は、2007年2月(第5号)から2008年2月(第22号)まで12回にわたって掲載されました。息子さんはその続編として第39号、第49号に登場します。つづけて掲載します。
小学校時代は小児喘息で、体育授業を見学
日本空手協会五段、B級指導員、C級審査員、B級審判員ともなれば相当な猛者を思い浮かべられると思いますが、身長160㎝にも充たない中年小男、それが私です。
(写真:指導員として子供らと01年に初の全国大会出場)
小学校卒業以来同窓会なるものが一回も開かれていませんので、小学校時代の友人と会う機会がないので驚かれませんが、きっと私が前記のような資格を持っているとみんなびっくり仰天をするのではないかと思います。
なぜかと言えば、小学校時代から背が低く痩せており、おまけに小児喘息という厄介な病気のため高学年の冬場は毎年体育の授業は見学。また長い時には週単位で学校を休んでいたからです。このころ「将来何になりたい」と聞かれると「○○になりたい」という答えを持っていませんでしたが「病院関係には絶対に勤めたくない」と答えていたような気がします。
そんな私が空手と出会ったのは高校に進学してからですが、中学2年の時、一念発起してサッカー部に入りました。当時の港中学校はサッカーが強くあこがれたのと、このまま弱い身体では、と思ったからでした。練習前のランニングにもなかなかついていけず、時折ぜんそく発作を起こしながらもどうにか3年の終わりまで退部しないで補欠をつとめあげることができました。
そんなことを少しの自信にして高校に行ったのですが、高校は農業高校だったため、スコップやカマを手にした「実習」が多く、ついていくのが大変で、空手部に入ったのは夏休みが終わり高校生活に慣れた2学期からでした。
(阿部久さん:稜北内科小児科クリニック 事務主任)